ゼロからの韓国生活 in Pohang

ソウルや釜山なら聞いたことあるけど、ポハンってどこよ⁉レベルからの生活・観光日記です

韓国での妊娠・出産記録【韓国の産後ケア:産後病棟(調理院)】

韓国ならではの産後ケア、調理院(チョリウォン)でお世話になりました。

韓国では自然分娩(無痛を含む)の人は2泊3日、帝王切開の人は1週間の入院した後、そのまま退院する人ももちろんいますが、自宅にすぐに帰っても家族のサポートがない人は調理院を予約してそちらに移動して退院後1~2週間過ごす人もいます。この調理院という施設が広まった背景には核家族化が進んだことや高齢出産が増え妊産婦の両親世代も高齢になってしまったことがあるようです。

うちも例にもれず、コロナのため国境を越えての移動が難しいですし、私自身も高齢出産のため、日本にいるさらに高齢の母親にヘルプしてもらうのは無理だったので、調理院に1週間入ることに決めました。

私が利用したのは病院の付属の調理院なので、産後病棟と呼ばれていて病院から徒歩1分ほどの距離にあります。病院との連携もとれているので、毎朝小児科医が調理院の新生児室に来て健康状態をチェックしてくれるし、看護師さんたちが赤ちゃんのお世話をしてくれるので本当に安心して過ごせました。

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産後病棟の部屋(ベッドが快適すぎて毎日ゴロゴロして過ごしました)

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トイレやシャワーもホテルのよう✨

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空気清浄機も常時稼働。クローゼットの下には簡易冷蔵庫。

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産後病棟でもらったギフト

では産後病棟では何をするのか?ということですが、母親学級の合宿版のようなもので、ご飯食べて授乳する、というのがメインです。スケジュールはこんな感じ👇

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 朝昼晩の3食以外におやつ、夜食が出ます。午前中、午後にクラスがあって、母乳授乳のお話や沐浴などがあります。(ただ、コロナの影響でほとんどのクラスがキャンセルされていたので、授乳のお話だけ聞きに行きました。※クラスはすべて韓国語。英語話せる人と仲良くなったので、その人に訳してもらいました。)

朝6時くらいから夜12時前までは部屋に呼び出しの電話がかかってきて、授乳室に授乳しに行きます。なので、ずーっとゴロゴロしていられるのかと思っていたらそうでもなく、なかなか忙しかったです。(今から思えば天国ですが、滞在しているときは「なんだー、ゆっくりできないじゃん」なんて思っていました。。)

滞在中の楽しみのご飯は、毎食栄養バランスが良くとても美味しかったです。バイキング形式なので、食べたい分沢山食べられました。

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食堂。コロナの影響で皆でワイワイご飯…というのはできませんでした。

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美味しかったご飯。

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おやつ。(おやつを食べない人が多いので、ワッフル2人分食べてしまいました)

 利用料金はもちろん高額ですが、家族のサポートがない人は1週間でも滞在すると安心して自宅に帰れると思います✨

韓国での妊娠・出産記録【いざ出産!2】

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家族分娩室に移動する前、浣腸を打たれているので、5分経ったらトイレに行くよう言われ分娩室内のトイレへ。

そのあとは無痛分娩用に刺した管に麻酔を流し始めてもらいました。

陣痛の痛みがスーッと消えていき、「こんなに楽ならもっと早く痛いって言えばよかった」なんて思いながら分娩台のベッドでウトウト。

「痛み無く産めちゃうなんて楽だなぁ~」なんて呑気に寝ていたら、看護師さんが入ってきて色々調べた後「子宮口が開いたから、今から羊水を破裂させます」と竹串片手に言われ、破水したのが午前4時頃。いよいよ出産かぁ、この人が担当するのかな?なんて考えていたけれど、麻酔の影響で力めず、麻酔をストップされました。

今まで麻酔で抑えていた陣痛の痛みが徐々に押し寄せる。40%の痛みを経験した後はすっかり痛み無く過ごしてきたところ、いきなり100%の痛みが襲ってきたので、もう言葉に表せないくらい痛い!!呼吸がうまくできない感じになったら酸欠になりかけてたのか、酸素マスクをつけられました。

痛かったらベッドのボタンを押してと言われ、自分で手を伸ばして押せないものだから旦那さんに押してと頼み、何度も看護師さんを呼び出したけれど、呼び出す度に「まだ」とか「もう少し様子見ましょう」とか特に何もしてもらうこともなく、一体担当の先生はいつ来てくれるのか?と聞くと「10時くらいかなぁ」と言われたのが午前6時とか7時頃。

痛むたび「あーー!」「あーー!」と叫んでると「ふー」「ふー」と息を吐くように言われたけど、もう冷静にフーフー言ってる場合じゃなく「ふ、ゔーう」「ふ、ゔーう」とキレ気味な感じでしか繰り返せず…。

午前8時頃にいつもの担当の先生が来てくれた時には「救われる!!」と感動したのも束の間、「もう少し様子見で」と言われ行ってしまった💦その後もちょくちょく来てくれたけど「様子見で」とだけ言われる…。

最後様子を見に来てくれた看護師さんに、痛くなったら10秒間力んで、と言われたので、もうベルで呼んでも「様子見で」しか言われないからベル押すのをあきらめ、旦那さんに10秒数えるの手伝ってもらいながら力んでいました。

そうこうしていると、皆がゾロゾロ入ってきて「じゃ、ここからは一緒にやりましょう」と言われバタバタと出産準備が始まりました。

担当の先生もやってきて、部屋の電気も薄暗くなり、いよいよ分娩。どうなってるのかさっぱり分からないまま力んでいると、お腹の中の左側をドドンと蹴る赤ちゃんの動きを感じ、あれ?まだ中にいるんだ、と思ってたらそれが最後の一蹴りだったようで、「Congratulations!」とお医者さんに赤ちゃんを手渡されました。へその緒は旦那さんがカット。

産まれたばかりの赤ちゃんは温かく、私の胸の上で大人しくしていて、「この子が私のお腹の中にずっといたんだなぁ、やっと会えたんだぁ」と胸いっぱいになりました。アニメやドラマでよく見るような出産シーンのようにギャーギャー泣くことはなかったので大丈夫か?と一瞬心配になりましたが、看護師さんにおくるみに包まれているときに大泣きしていたので安心しました。

赤ちゃんはそのまま新生児室へ。私は病室へ。コロナのため面会は午前、午後それぞれ一回ずつ窓越しのみでしかできません。
入院期間は2泊3日。その後に予約しておいた産後病棟(調理院)に移動しました。

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出産した日の晩御飯

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病院の1人部屋。料金は2泊3日で約7万円

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1人部屋にはシャワー・トイレ付。シャワーはうちの旦那さんが使用。

韓国での妊娠・出産記録【いざ出産!1】

38週の週の診察でも通常通りに超音波、NST検査を行い、
39週の検診では通常検査を行いましたが、予定日前日とあり、「特に兆候ないようだったら5日後に午後に誘導分娩にしましょう」といわれ終了。

突然陣痛が…とか、破水しちゃった!とか焦らず、計画的に出産できるのはいいな、と思っていると、誘導分娩の日の早朝、おしるしが。そして微弱だけど陣痛を感じ始めました。全然耐えられる程度だったので、できるだけ陣痛の記録を取りながら、午前中にできる家事を済ませ、午後に旦那さんと一緒に病院に行きました。

通常通り受付票を取って診察室に行くと、陣痛促進剤を点滴して今夜は様子を見ましょう、とこれからの話をさらっとされ、「じゃあ、このまま分娩室に行って下さい」と言われたので別のフロアにある分娩室に旦那さんと二人で向かいました。

韓国の産婦人科にかかって知ったのですが、病院にそれぞれのスペシャリスト的な人がいて、採血する人は採血のみ、NST検査の人はひたすらNST検査をする、といった感じなので、「あれ?もしかして分娩担当の人がいたりするのかな?」と若干不安になりました。

分娩室では、指示通りに病院着に着替え、体重測ったり、同意書的なものにサインしたり(何にサインしたのか良く分かっていない💦)、その他いろいろ質問されました。会陰注射をしますか?と聞かれ、何それ?日本の出産の本にはそんなもの登場しなかった、と思ったので、「それは何ですか?安全かどうか良く分からないです」と伝えると、「会陰の細胞を柔らかくする注射で、会陰破裂を避ける働きがあります」と言われたので、それもお願いしました。臍帯血はどうしますか?と聞かれたのですが、韓国での臍帯血の扱いがどうなっているのか調査不足だったのですが、事前に旦那さんと話して決めておいたので、その自分たちの意志を伝えました。(このギリギリで聞かれるので、事前にお医者さんに聞いたりネットで調べたりすることをお勧めします。)

諸々の事務的な話が住むと、分娩待機室に案内され、ベットの上ではNST検査、子宮口の開きの確認、剃毛、血液検査、が行われ、点滴を打たれました。私の準備が一通り済んだ頃に旦那さんも分娩待機室に案内されました。

そこからはひたすら待つ。

運動するように言われ、同じフロアにある運動室でバランスボールに乗ってみたものの、ほぼほぼ休憩していました。

グダグダしていると呼ばれ、待機室に戻り無痛分娩用の麻酔の針を打ってもらいました。待機室を順に回って打つようで、横になって看護師さんに体制を整えてもらって待ってると、麻酔科医の先生がやってきて、背中の打つ場所を確認してさっさと針を挿入して帰っていきました。横になってたので麻酔科の先生の顔一瞬も見ることなく終了。

夕方6時。夕食。私は病院の食事、旦那さんの分は出ないので、外に買い出しに。
(妊婦さんも病院の食事じゃなくてお弁当を買ってきている人もいました。)

夕飯を運動室で食べた後、待機室に戻ってひたすら待機。
(定期的にNST検査や子宮口の開きを確認しに来る以外は特に何もない。)

夜11時、消灯。

電気消されてから…、陣痛の痛みが増してきました。
11時以降は看護師さんは来てくれないので、朝まで我慢しないといけないのかな?でも相当痛いし、痛みの間隔が短くなってきた、どうしよう💦と気分転換に何回もトイレに行って帰って、ナースステーションのところに話しかけに行こうかなんてウロウロしていると、それに気づいた看護師さんが「すごく痛い?」って声をかけてくれました。

NST検査、子宮口の開きを確認してもらうと「40%ってところですね。じゃあ、分娩室に移動しましょう」と言われ、そばで寝ていた旦那さんを起こして夜中1時に家族分娩室へ移動しました。